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「……ああ、こんな所にいらっしゃいましたか、狐さん」

 どこまでも続くのは、穏やかな青い空。
 はるか地平に視線をやれば、そこをあるのはターバンを被った男を背に乗せてゆったりと歩く象の姿。
 菩提樹の上で、彼の地では当たり前の光景をぼんやり眺めていた少女に掛けられたのは、穏やかな声だった。
「どうしたん? カッパ」
 狐と呼ばれたのは、半分は比喩ではない。
 少女の頭の上には尖った獣の耳が突き出ていたし、お尻からもふわりとした大きな尻尾が伸びている。
 少なくとも、ただの人間ではないのだ。この娘は。
「……カッパじゃないです。ザビエルです」
「でも、どう見てもカッパじゃけど……」
 樹上にいる少女から見えるのは、丸くそり上げられた頭頂部。その周りに放射状に伸びた髪の毛を見れば……まず思い浮かぶのは、故郷で見た事のある馴染みの顔だ。
 そういえば故郷で見たそいつも片腕をどこかで失っていたな、などと思いつつ、少女の視線は片腕の男の頭頂部に注がれたまま。
「トンスラはカトリックのオフィシャル髪型なんですー! この国のお坊さんが坊主にしてるようなものなんですー!」
「坊主が坊主なんは当たり前じゃろうが。……で、どうしたん? カッパ」
「……お客さんですよ」
 自分の名を頑なに呼ぼうとしない少女に片腕の男……ザビエルは小さくため息を吐き、自らの背後に潜むように立っていた人型の影を指し示してみせる。
「……名探偵に出て来る犯人か?」
「……儂じゃ、小娘」
「その声は……お師匠様!!」
 師匠と呼ばれた人型の影は少女の言葉に鷹揚に頷いてみせると、もそもそと全身タイツを脱ぎ始めた。

 中から出てきたのは、長い髪に豊満な肢体。
 そして、それ以上に豊かで大きく広がる、九尾の尻尾。
「うむ、ちと本場のインドカレーが食べとうなっての。……修行の調子はどうじゃ? 小娘」
 切れ長の瞳をゆるりと細め、狐の師匠は菩提樹から飛び降りてきた小狐を見下ろしてみせる。
「はい! 立派な“のじゃロリ狐神”になるために、世界各地の神様の事をたくさん勉強しちょります!」
「のじゃロリ狐神」
「狐神のトレンドは、年齢問わずにのじゃ狐じゃけえ! お師匠様も、のじゃ狐じゃないですか! ロリじゃないけど!」
「のじゃ狐」
「違うんですか?」
「…………まあ、ブームに流されんようにせいよ?」
 それが一過性で終わってしまうことを心配する前に、狐の口調はどう考えても違うように思ったが……師匠も面倒なのでそれ以上は黙っておくことにした。
「はい。して、今日はどうしたんですか、お師匠様。インドカレーは知らないですけど、カッパの所に来るのなんて十年ぶりくらいですよね?」
「……ザビエルですー」
 涙目のザビエルを放ったまま、師匠狐は鷹揚に頷いてみせる。
「うむ。おぬしの新しい研修先が決まったぞ」
「ホントですか!」
「……どうして主の方が先に反応するのじゃ、カッパ」
「いえ、別に……。あとザビエルです」
 思わず視線をそらすザビエルの様子にコホンと思わせぶりな咳をして、師匠狐は改めて小狐に向き直る。
「のじゃかどうかはともかく、立派な狐神になるためには、多くの神のことも知らねばならぬ。なにせ日の本の国には、八百万の神々がおわすゆえにの」
 故に小狐は、日の本からはるか離れたインドで、これまた異教のザビエルの世話になっていたのだ。
「はいっ! それで、次の研修先はどこですか? また南米に飛んで、テーブルマウンテンの上に眠る謎の神様に会ってくればええですか? それとも、インディアナなんとかいうおっさんと一緒に、ボロイ箱を探したらええですか?」
「そんなことしてたんですか……あなた」
「まだじゃけど」
「…………」
 げっそりとした表情のザビエルを見なかったことにして。狐の師匠は取り出した扇子で口もとを隠しつつ、目を輝かせる小狐の様子に穏やかに微笑んでみせる。
「そこまでせずとも良い。次の行き先は……日の本じゃ」
「日の本に戻れるのですか!!!!!!」
 師匠狐の言葉に従って世界を巡ること幾星霜。
 とうとう生まれ故郷に戻れると聞いて、小狐のテンションははね上がる。
「うむ。このあいだプ●パラのクリスマスライブに行ったら、ちと面白い輩と知り合ってのう。そやつにお主の話をしたら、しばらく面倒を見ても良いと言うてくれての」
「プ●パラのクリスマスライブ」
「そやつはレ●ナ押しであった。よく分かっておるやつじゃ」
「レ●ナ押し」
 ちなみに師匠狐の扇子にも、ピンクの髪の子が描いてあった。
「小洒落た半被まで着込んでおっての。夏の祭り直前の受注生産品であったようでの……すっかり見逃しておったわ、おのれ」
「……それってもしかしなくても、信じて送り出したのじゃロリ狐がキモオタさんの仔などはらみトゥナイトみたいな薄い本展開まっしぐらなやつじゃないです? 全年齢のサイトでやっていいやつです? とらやめろんでゾーニングされません?」
 先ほどのハイテンションから一転、途端に沈んだ声を漏らす小狐に、師匠狐は呵々と笑い声を上げてみせる。
「案ずるな、一応そやつも妾と同じ奉られる存在じゃ。それにそれを言うなら、カッパに会うた時とさして変わらぬ」
「……初めてお会いしたの、林原め●みコンサートでしたよね。あとザビエルです」
 師匠狐はうむ、と小さく呟くと、レ●ナ扇子をぱたんと閉じ……それをいそいそと懐に仕舞い込むと、代わりに小さな札のようなものを取り出して。

「ぬしの新たな行き先は、山口じゃ」
「…………やま……ぐち」
「うむ。そこで奉られておる、大内義隆という輩に……」
「ええええええええええええ」
「……じゃけえなんでお主の方が先に反応するんよ、カッパ」
「ザビエルですー!」
「そういえば義隆も知っておると言うておったな。カッパ」
「そうなん? 奉られる者絡みも狭いんじゃねえ」
「え、ええ、まあ…………昔ちょっと……」
 意外な繋がりに小狐はほぅと息を吐いてみせるが、当のザビエルはそれが明らかに失言だったかのように、気まずそうに視線をそらすだけ。
「っていうか、そうか……。あのホモ内……じゃなかった、大内さん、いまはレ●ナ押しなんですか……」
「どうしたん? そのホモ内とかいう奴に嫌な思い出でもあるん? カッパ」
「まだ奉られる前、日の本に行ったときに知り合いになりまして……」
 小狐の問いに、ザビエルは頭の皿にじっとりと汗を浮かべ、虚ろな目でぼそぼそと言葉を紡ぐだけ。

「というかあの人、初めて日の本を訪れた私の事を随分気に入ってですね……。最初はソデにした癖に……後でまた会いに行ったら、『なじられた時は腹立ったけど後から思い出したらドキドキしてきた……』とか、『お寺あげるからここで暮らそうよ』とか……」
「私ノーマルなのに! ボーイズでラブいのは範囲外なのに!! あのホモ内ー! あとザビエルだし! マイハニーとかでもねえし!」
「そういえば、今は地元でザビエルx大内のキャンペーンを張っておると息巻いておったの」
「ああああああもおおおおおおおおおおおあのホモ内いいいいいいいいい!」
 しれっと口にした師匠狐の言葉に、今までどれだけカッパ扱いされても怒らなかったザビエルはあっさりとキレた。
「右腕が! まだ私に右腕があれば! ザビエルビームは熱光線なのにー! ホモ内ー!」
「…………お師匠様」
「なに、奉られる身ともなれば脛に傷の一つもあるものよ」
 半ばで切断された右腕をぶんぶん振り回して怒りの声を上げるザビエルのトラウマをそのひと言で軽く流し、師匠狐は懐から取り出した札を改めて小狐に握らせる。

「ともあれ、お主の新たな修行は、多くの日の本の神の元を巡り……この神チケを交換して回る事じゃ」
「……そのネタは版権的に大丈夫なんです?」
「八十八箇所霊場巡りみたいなものじゃ。妾たちの方が先よ」
 神様の世界は基本おおざっぱな事を、小狐も今までの修行で良く知っていた。これ以上突っ込んでも、たぶん無駄だろう。
「わかりました。それで……ですね。お師匠」
 だから修行の課題は諦める事にして、小狐は改めてこちらを覗き込む師匠を見上げてみせる。
「なんじゃ、妾は本場のインドカレーを食べたいのじゃ。……それとも、ぬしも食うか?」
「カレーは食べ飽きちょるんでええですけど……その……」
 三食カレー付きの生活もこれでお別れなのだと思いながらも、小狐が問うたのは……もっと根本的な質問だった。

「やまぐちって、どこですか?」


   

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